睡夏 ――すいか――
原作 鳴上州「夜を駆ける」
夏休みも半分が過ぎ、高校から課せられた宿題はほとんど終わっていなかったりするのだが、僕はそこまで気にも留めず、まあ徹夜すれば三日でもカタがつくだろう、などと思いながらクーラーの効いたリビングのソファで文庫本の小説を読んでいた。
その小説は大して面白くなかった。店頭でタイトルだけ見て買ってみたが見事に外れだ。
それでも他にすることもないし、あるはずの宿題からはつい目を背け、現状維持として大したことのない小説を読み続けている、そんな昼下がり。
(喉渇いたな……千尋もお泊まり学習とかで明日まで帰ってこないし、冷蔵庫の麦茶はさっき全部飲んでしまったし、面倒だけど買いに行くか……)
つまらない小説を読んでいると気が散る。
一応本に栞をはさんでソファに無造作に置き、僕は立ち上がって伸びをした。
クーラーの効いた部屋で動かずに長いこといたせいか、どうも体がぎくしゃくする。
部屋に戻って簡単に着替え、洗面所で身だしなみを整える。
特に意味もなく髪の毛をがしがしやっていると、インターホンが一回鳴った。
(母さんか……?)
高校での夏期講習の真っ最中とかで、今日も夜まで帰ってこないと聞いたのだが。
僕はインターホンを手にとって耳に当てる。
「はい」
『あー、セイジー? 開けてー』
聞きなれた声だった。
元気でかわいらしくもどこか寂しく、透き通ったあの声だ。
僕はインターホンを掛けて、玄関まで赴いて鍵を開けてやる。
すると向こうから扉を開けて、彼女はふさがっていないほうの手を軽く挙げ、にこっと笑いかけた。
「やっ」
「……どうしたの、それ」
目の粗いネットに入った、大きなスイカを三つ背負(しょ)ってそこにいた少女。
未だ僕の中で最も関わりの深い人間で、見た目も中身も文句なしの、それでいて人を殺した女の子。
和泉紗枝だった。
とりあえず上がってと僕は彼女を迎え入れ、扉を閉めて鍵をかけた。
「手洗うから、持ってて」
そう言って紗枝は僕にスイカ入りネットを全部押し付ける。
「これ、どうしたの」
二度目になるその質問に、彼女は洗面所を目指してすたすたと歩きながら答えた。
「おばあちゃんがね、送ってくれたの」
「へえ?」
「ほんとは六つくらいうちに送られてきたんだけど、私じゃ全部食べられないから」
水を勢い良く流す音と、ぱちゃぱちゃと手を洗っている音が聞こえた。それに混じって、まだ一個しかクリアしてないんだよね、との声も聞こえた。
水を止めてタオルで手を拭きながら、そこまでやってきた僕に向かっていい笑顔で言う。しかしこのスイカ、やたらと重い。
「だからセイジにおすそ分け。暑中見舞い」
「それはどうも……」
正直、どうかと思うんだけど。
「はーもう、汗でべったべた。脱いでいい?」
そこから一枚でも脱ぐと危ない。今日の紗枝はパステルブルーのワンピースだった。涼しげだし、よく似合うとは思うんだけど。
だから返事の代わりにこう言った。
「リビング、クーラーついてるから」
「あ、気が利いてるんだ」
殺人少女はにわかに喜んで、僕の横をすり抜け居間を目指す。
僕もこの重いスイカを引きずって、彼女について行った。
とりあえずこの重い水の塊は台所に置くと、紗枝はソファに転がっていた、読みかけの小説を開いていた。
「こんなの読んでたんだ。面白い?」
「つまらない。妄想の域を出ない恋愛小説」
「ふーん、セイジの目にかなったのだったら、私も読んでみたいかも」
「ところで、あのスイカどうするの」
「食べるんだよ?」
まあ、食べるよな。間違っても糸をくくりつけて空に飛ばしたりはしない。
「ちなみに、セイジが全部食べるんだよ。私はもう一個目でギブだから。飽きちゃった」
無茶言うな。
「男の子だし、スイカの三つ四つわけないでしょ」
「そりゃイチゴやキウイならね。でもこれはスイカ……」
「じゃあさっそくあれ切っちゃうから、台所借りるね」
「話を聞……」
言い終わる前に紗枝は台所へと消えていく。
「セイジはスイカがだーいーすーきー」
台所から変な歌が聞こえる。止めてくれ。別に大好きじゃない。
「セイジの枕はー、国産スーイカー」
続きあった。嫌な枕だな。
和泉紗枝は、ある意味相変わらずだった。
また小説を読んで待っていると、二つの大皿にいっぱいいっぱいの切ったスイカを入れて、紗枝はリビングにやってきた。
「お待たせ、さ、セイジ、食べて食べて」
「丸々一個って、度胸いるよ」
「何言ってんの、もう二個あるよ」
「……別に今日食べきらなくてもいいんでしょ」
「まあそうだけど、いずれ食べるんだよ」
頭が痛くなってきた。
床に座り、ソファにもたれている僕のすぐそばに、紗枝は皿を二枚とも置いた。
そう言えば喉が渇いていた。
僕は一切れを手に取り、ほぼ水と言っていい果物にかぶりついた。
甘い。
「んふふ、食べてる食べてる」
なんだその昆虫に餌をあげた小学生のような言い方は。そしてどうしてその表情はそう満足げなんだ。
「セイジがあんまりおいしそうに食べるから、私も欲しくなってきちゃった」
そう言って僕のそばの殺人少女は、皿の左端のスイカを一切れ、フォークを用いて削りながら食べ始めた。
「セイジ」
「なに」
「カニって、どうして食べてると無口になるんだろうね」
「いや俺たちが今食べてるのはスイカ……」
(暑い……涼みたい……涼しい所に行きたい……北海道に行きたい……北海道でカニが食いたい、のか?)
いや、単に暑さで頭が変になったのか。
後者のほうを口に出してそう言うと、紗枝は「セイジほどじゃないよ」と言って再び食べ始めた。
なんだかんだで僕たち二人はスイカを半玉クリアし、次の皿に手を伸ばす。
そのスイカもほとんどなくなりかけてきたころ、ほとんど無言だった紗枝はゆっくり口を開いた。
「ねえ、セイジ」
「今度はなに」
先ほどよりも、少し声のトーンが下がっていた。
「セイジはさ、夢って見る?」
「どっち?」
「寝てる時に見る、あっちのほう」
「まあ、見るよ」
「……ふうん……」
和泉紗枝はそれだけを言うと、食べかけのスイカを皿に置いて、僕と向かい合っていた位置からすすっと動き、僕のすぐ隣でソファにもたれた。
「私、夢って見ないんだ」
五十センチを切った距離で、紗枝は僕のほうを見ずにそう言う。
「うん」
「でもね、夕べ、久しぶりに夢見た」
紗枝の視線は、斜め下のスイカの赤に向いていた。
殺人少女は、呟いた。
「……お父さんと、まりっぺがいた」
エアコンの無機質な音に混じり、閉め切った部屋の外から蝉の声がよく聞こえた。
「…………」
「…………」
「…………そっか」
「…………うん」
彼女は、僕にゆっくり寄り掛かってきた。
とん、と音もしないような、彼女の小ぶりな頭の感触が肩を伝い、長くきれいな髪から漂うシャンプーの香りが鼻をくすぐった。
「相変わらず、何も聞かないんだね」
「まあね」
この殺人少女と一緒にいるうちに、何となくわかりかけてきた。
聞かないほうがいい――のではなく、聞かないことが、紗枝にとってはいいのだと。
「うん、セイジのそういうとこ、いいよ」
んふふ、と笑って紗枝は僕の肩の上で自分の頭をぐりぐりとさせた。
「……ねえ、和泉さん」
僕が聞くとしたら、これくらいだ。
「怖かった?」
彼女は何も言わなかった。
けれど、こくりと、はっきり頷いた。
僕はまだ彼女のことを、「和泉さん」と呼んでいた。
あれから春になって、僕らが進んだ高校は同じ。
けれど――クラスは違っていた。
あの時の会話で交わした、約束と言っていいほどなのかは分からないあのやり取りは、まだ実現を見ない。
「絶対おかしいよ、絶対おかしい」
春から夏にかけ、ことあるごとに紗枝はふくれっ面でそう言ってところかまわず僕に詰め寄って、いちいちいなすのも一苦労で。
現実はそんなもんだよ、違うクラスになる確率は九割だったんだし、確率はあくまで確率なんだよ、それが高い低いにかかわらず。
そう言っても、怜悧な頭を持つはずの彼女はこの場合に限って頑なだった。
それはきっと、彼女は僕と一緒のクラスになりたかったのではない。いや、それもあるのだろうけれど。
僕に自分のことを名前で呼んでほしい、そちらのほうを願っていたことも何となく僕にはわかっていた。
だから――。
クラスが一緒だった、一緒ではなかったなんて、問題ではなくて。
それがこの少女の望みなら――。
特に、こんな時のように、僕を少しなりとも求めているのなら――。
それこそ、約束なんて簡単に破って、ひょいと跨(また)いで、僕はそこに。
簡単に行き着くことだって、できる。
「なあ、紗――」
彼女のほうを向いて、そこで気づいた。
和泉紗枝は、僕にもたれて眠っている。
「なにやってんだか、な……」
すうすうと小さな寝息を立てて、僕のそばで眠る殺人少女。
隙があるとかそういう問題ではなく、いろいろと完全に無防備な、美しい少女。
僕はそんな彼女を見て、ふっとため息をついて、それから笑みがついこぼれた。
――眠かったんだろうな、きっと。
怖い夢を見て、眠れなくて。
ここに、眠りに来たんだな。
そんな様子を見て、彼女の寝顔を見て、僕は思った。
――和泉紗枝の望みがそれだというのなら、それもいいだろう。
僕が、紗枝にとって安心して眠れる場所だというのなら、それも構わない。
そのためなら――おまえが怖くなって、眠れないのなら、僕の肩くらい、いつでもどこでも貸してやろう。
「だって僕は、おまえの共犯者だから」
この少女だって、苦しむのだ。
自分のしたこと、自分の罪に、自分の業に。
それで怖くて眠れなくなるほど、おまえは優しくて繊細で。
なら、僕は――。
おまえの罪も、業も、半分背負ってやる。
半分でなくても、おまえが疲れていて、耐えられそうになければ、もっと多めに背負ってもいい。
僕が九割九分九厘、お前が一厘のときがあってもいい。
どちらかがゼロにならない範疇で、僕たちは罪と業を分かち合おう。
「共犯者ってのは、そういうものだろう」
――紗枝。
僕は、彼女の具合が悪くならないように、エアコンを弱めた。
それからソファに投げていた本を再び手にとって、残っていたスイカをしゃくしゃくと食べつつ、再び読み始める。
その肩に、ほんの少しの、けれど確実にそこにある重みを感じながら。
そうやって、夏は。
殺人犯と、その共犯者の夏は。
和泉紗枝と僕の夏は過ぎていく。
ゆるやかに。
ひそやかに。
おだやかに。
「今度こそ……いい夢見なよ」
僕のささやいたその言葉で、彼女の寝顔は少しだけ笑みで歪んだような気がした。
夏は、もう少しだけ続く。
「小さな雨宿」柳一さまから頂きました。
なんと、僕の書いた「夜を駆ける」を原作とし、このような素晴らしい作品を書いてくださいました。
ありがとうございます!ありがとうございます!
うわー。うわー。紗枝とセイジがナチュラルにいちゃついてるよー。セイジが紗枝のことを名前呼びしてるよー。
もう、どれほど感謝の言葉を述べても足りません!!
ありがとうございました!!




